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  • 執筆者の写真椛丘 麗歌

平坦な道

ここ数年間、化学薬品被害による複数の症例を扱ってきました。防毒マスクあるいはN95マスクの使用を要する内容のものです。


こうした薬物は、代謝という活動をしている体内から、呼吸を通し、皮脂腺その他を通し、体外へ放出されてきます。当院では、デトックス効果を上げる治療を行い、なおかつ痛んだ臓器の回復を図り、非可逆的、あるいは不可逆的とされている薬物被害も、解決に向けて治療していけるのです。


しかし、治療にあたる当事者は、揮発した薬物の被害を受けることになります。簡単な防毒マスクや、N95マスクでは完全な用を成しません。空気が入りにくいのは良いですが、今度は入ったが最後出ていきにくく、逆に汚染された空気にさらされるという困った機密性があります。


筋肉、骨、神経、血管、呼吸器、内臓すべてにそれなりの影響を受けています。結構ボロボロなので、私自身がこれをきちんと治療して元の体に回復させようとすれば、それなりの期間を必要とします。


患者様方が、先生今日はご自分の治療をなさってください、と頭を下げて帰って行ってくださいますが、ありがたいことだと思っています。

これは一つの被害ではありますが、仕事上仕方のないことでもあります。こうした経験も、治療者としては貴重な経験でもあり、被害の大きさはまた病める人の苦しみの大きさでもあります。治療を委ねてくださる限りは、与えられたものにできるだけ謙虚に向き合っていきたいと思っていす。


こういうわけで、体調が壊れている私は、火曜日の休みの日はできるだけ運転手付きの車の助手席で、緑を求め、空を見、雲を眺める散歩に出かけることにしています。


8月23日火曜日、佐賀に行きました。まず小城羊羹「増田家」で羊羹を買い、次は待望の柳川に行き、記念館になっている北原白秋の生家に行きました。










北原白秋は、少女の頃からずっと親しんできた詩人です。


育児にも利用しました。子供たちは比較的早くお座りができるようになり、5カ月では普通にお座りして遊んでいました。お座りできるようになると、決まって読んで聞かせていたのが北原白秋の詩です。


そのひとつは、

「あかしやの金と赤とがちるぞえな

 かはたれの秋の光にちるぞえな

 片恋の薄着のねるの我が思い

 曳舟の水のほとりをゆく頃を

 やはらかな君が吐息のちるぞえな

 あかしやの金と赤とがちるぞえな

 かはたれの秋の光にちるぞえな」

という「片恋」という詩です。


0歳に「片恋」ではありますが、五七調の韻を踏んだ詩は心地よく聞こえていたのでしょう。私の狙いが通じ、ニコニコと聞いてくれたものです。




ご存じのように、白秋の詩はメロディをつけられ、歌曲として多く親しまれています。

どれも純粋な白秋が、美しく表現されています。



大きな造り酒屋に生まれた白秋は、お母様の実家にあった書物に影響され、文学の道を歩くことになります。文学者の道なんて、通常でないに決まっているようなものですから、白秋の人生もまた「波瀾万丈の人生」と表現されています。

白秋が使っていた「離れ」

いつの時代も、毎月のサラリーがあり持ち家でもあると、まともな人生と思ってもらえるやれやれの世界感がありますから、芸術家の世界では無理もなかったでしょう。


しかし、白秋にとっての人生は、本当に波瀾万丈の人生だったのでしょうか。


たとえば私が薬品被害にあったとしても、一つの流れの中の出来事であり、向き合ってクリアすべき貴重な時間に過ぎず、波瀾万丈のひとつではありません。





白秋もまた同じだったのではないでしょうか。


次々とやってくるさまざまなものとの出会いを、無造作に「波瀾万丈」と言ってしまう人々の影で、純粋な深い情感を持って、一つの流れの中の当たり前として、輝く平坦な道を築いていったのではないでしょうか。


その証拠に彼の人生は、美しい詩に満ち溢れています。


そんな、純粋に真面目に平坦な道を歩んだ、白秋の深さと優しさと悲しみとが溢れた曲を、ここを訪れて下さった皆様に捧げたいと思います。


 城ヶ島の雨  北原白秋作詞  梁田貞作曲  藤山一郎歌


何度聴いても、涙したくなる曲です。

        (2022 8/28)























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