子どもの感性は大人の感性と同じ高さ
『麗歌の育児講座』003
私は直接育ててくれた両親と、私を取り巻くさまざまな人々や自然の環境の中で育ちました。
私自身の子どもの育て方も、私の中に殘っている幼少の頃の記憶や思いに負うところが大きくあります。
(この方々を育てました。1歳から5歳まで。女の子、女の子、男の子、女の子、女の子の順)
作家三島由紀夫は、「タライでゆらゆら光る産湯のお湯を覚えている」と言って怪しまれておられましたが、私はそうかもしれないと思うところがあります。私もまだねているいるだけの頃の、赤い着物を着せられた日の自分を覚えている気がしているからです。
両親に教えてもらった零歳のときからの自分の会話の内容や、私が記憶している、大人の会話に反応して考えている幼少の自分、自然や色彩への反応や思い等を考える時、私には元々「子どもは大人であり、赤ちゃんは赤ちゃんではない」という考えを持っていました。
「子ども(赤ちゃん)の感性は、大の感性と同じ高さにある」というのが私の考え方です。
そんな私の前に現れた私から生まれた赤ちゃん達は、私にとっては恐れ多い「人間のお子様」であり、「赤ちゃんの形をした大人の方々」でした。
さらに「私から生まれた他の人々、たぶんそう思ってもいいであろう私とは一番近い友人の方、そして、私とは違う人生を持つ方々」でした。
私は子ども達を心から、座布団を十枚くらい重ねた上で、他人のお子様をあずかってお育てしている、という思いで育てました。これは本当の話です。
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